映画版『君愛/僕愛』抜粋タイムライン
まず、僕愛→君愛と映画を見て、映画パンフレットと小説も買って、
更にもう1度ずつリピートして観て、自分なりに整理してみた時系列です。

出来事については映画版に準拠していますが、
時期については、映画パンフレット中のストーリー年表に加え、
より具体的な年齢は原作小説における記載を参考にしています。
小説と映画で出来事に差異がある部分は、映画を優先しています。
(この2つも並行世界として捉え始めると更にややこしくなってしまうので)
そのため、最初のパラレルシフトをした年齢のように、
映画では多少前後しているかもしれません。
また今回は「アクアマリンの指輪」に注目するため、
君愛における最重要シーンを含め、一部省略しています。
瀧川和音はいつ、アクアマリンの指輪を見たのか
映画僕愛の終盤、君愛世界の瀧川和音から、僕愛世界の高崎和音に宛てた手紙で、
瀧川和音は最後に、こんな追伸を残していました。
「前に一度だけシフトしたときに見たアクアマリンの指輪、真似させて貰いました。」
そして映画君愛の終盤、タイムシフトする暦を見送る瀧川和音の右手の小指に指輪が。
それを見つけた暦は、どうしたんだと聞くと「お揃いなの。」と告げていました。
確か右小指のピンキーリングだったと思うのですが、意味を調べてみると「片思い」だそう。
(2周目で小指なのは確認したけど、左右どっちだったかが少し怪しい…)

僕愛世界で暦が和音にプロポーズした際、
和音が2のシフトをしたので、そのときに見たという風に受け取れるでしょう。
ただ、よくよく考えると違和感が発生します。
僕愛のプロポーズを、君愛和音がそれを見るというのは時系列上無理があるのです。
原作小説に準ずれば、僕愛世界でプロポーズが行われたのは、25歳のとき。
一方、君愛世界で和音が虚質科学研究所に入所したのは27歳のとき。
日本の教育課程では、学士課程4年・修士課程2年・博士課程3年なので、
君愛世界の和音25歳は大学院在学中ということになります。

時系列を並べると、暦と和音には関係性すら殆どない状態なのです。
辛うじて、和音から同級生・研究者として一方的なライバル心があっただけ。
なお、原作小説の君愛和音は九州大学大学院を首席卒業しているのに対し、
映画の君愛和音は「海外留学して最速で博士課程を修了」と言っていました。
海外留学すると高卒以降にどれくらい速められるのか分かりませんが、
ひょっとすると25歳で修了出来るかもしれませんし、
逆に僕愛和音がプロポーズを受けた年齢も、映画では明言されていません。
ただ、映画パンフレット年表でも前後関係はプロポーズが先、となっていました。
また、プロポーズ中に僕愛和音がシフトされたのが君愛和音だったにしては、
シフト幅が2だったというのは小さすぎます。
僕愛世界と君愛世界がどれだけ離れているか、IPとしては明らかにされていませんが、
バッグを左に置いたか右に置いたか程度で、シフトしたことを自覚しなかった程度、
まさにIP2という数値通りで、状況に大差はなかったのでしょう。
僕愛小説でも25歳時点でIP9までは、和音と付き合っていたと明言されています。
瀧川和音は何故、指輪を見た世界が僕愛世界だと分かったのか
仮に君愛和音の入所が、僕愛和音がプロポーズを受けたのと同時期かそれ以降だとしても、
プロポーズの時期に合わせようとすると、というか時期が早いほど、別の問題も発生します。
タイムシフト先の並行世界が、
約50年前に見た並行世界と同じ世界線だったと言えるのか。
特に僕愛和音は、壮年期に通り魔事件が発生し、
13の世界の和音からオプショナルシフトをされ、同一性の拡散が起き、
帰還した後も「最も0に近いが完全な0ではない存在」となってしまった、
と暦のモノローグで明言されていました。

並行世界は拡がり続ける上に、このようなイレギュラーまで発生した僕愛和音を、
君愛和音は「ずっと前にシフトした時と同じ高崎和音だ」と判断できたのか。
タイムシフト理論を見付け、栞と出会わないまま暦が亡くなる並行世界を
タイムシフト先として見定めている頃のように継続的に繰り返し観測していたならまだしも、
時を置いて1度シフトしただけで、過去に見た世界だと判断するのは難しそう。
…もっとも、これに関しては虚質科学という、
現実常識の範囲外の設定の話なので、考察し尽くしても答えは出ないでしょう。
並行世界の同一性を求める研究があったかもしれません。
ただ、君愛和音が僕愛世界にシフトしたのは50年近く前とするよりは、
割と最近、タイムシフト先として目標に定めた後とした方がしっくりきます。
なお、この「僕愛世界をタイムシフト目標に定めた時期」も、
小説では余命1ヶ月、タイムシフト貫行ギリギリまで粘りに粘っていますが、
映画パンフでは壮年期中に指し示されており、割と早い段階で決めています。
小説では、タイムシフト前に君愛和音が僕愛世界にシフトする隙が無かった。
映画では、タイムシフト先を決定してからだいぶ時間に余裕があった。
これらを踏まえると、君愛和音がアクアマリンの指輪を見た時期は、
壮年期~老年期に入ってから、という方が時系列的には納得がいきます。
プロポーズの時が一番指輪が映えるシーンだったとはいえ、
その後も僕愛和音の指にはアクアマリンの指輪が嵌まり続けていましたし。
早すぎるのも上記のような問題がありますが、タイムシフト直前過ぎると、
近い間に2回シフトしてるのに1回目を「そのとき」と言うのも不自然ですし、
君愛映画の老年期には所長を辞めて隠居生活に入っていたので、
まだ現役の壮年期終盤でしょうか。
『君愛』で指輪が出てくるのは映画オリジナル演出
映画では、君愛ラストで「何故君愛和音が僕愛和音と同じ指輪をしているのか」
という伏線として使われる(その解答が僕愛ラストでの手紙…なんだけど、
時系列に疑問が残るのはここまでの考察の通り)アクアマリンの指輪ですが、
小説では本来、君愛で指輪に言及するシーンも、僕愛での手紙も出てきません。
安直に足されたのであればガッカリしてしまいますが、
ちゃんと設定を考えられた上で追加されたのであれば、良い演出だと思います。
私のように僕愛から先に見ると、栞とは何者かなど謎が残って君愛が気になるのに対し、
君愛から先に見ると、幕間の後も追加されてスッキリした終わりになっていることで、
少し伏線を残しておかないと、君愛1本で観終えてしまいかねないですからね。
この話はやはり、2本(更に言えばスピンオフ小説含め3本)全部見て繋がるものですし。
この映画のコンセプト上、観に行った人は2本とも観た人が多いとは思いますが、
君愛から観た人の心情は、僕愛から観た私には把握しきれません。
以上をもって、いったん私の答えとしては、
1度シフトしたとき=プロポーズのとき、というのはミスリード。
劇中で描画されていない、壮年期終盤あたりでこっそりシフトしていた。
と考えたいと思います。
今後、円盤とかでそのあたりについて深掘りされたら。正解が出てくるかもしれません。
最後に
僕愛映画で足された、瀧川和音から高崎和音への手紙。
追伸も気にはなったのですが、
君愛を観てから僕愛2回目を見直して、良いなと思う台詞がありました。
誰かが誰かを想う。その想いが繋がっていくのだと信じることが出来れば、私たちがある世界に生まれ、出会い、死んでいく意味があるのだと、人生の終わりに言えると思うのです。
言い回しは少し違うかもしれませんが。
円盤出たら引用に修正しようかな。 円盤見て引用に修正しました。
私も映画僕愛暦のように(喧嘩はしてませんが)8歳のときに祖父を亡くして以来、
何のために生きているのか、と考えるようになりました。
届かない思いを具現化させることに一生を懸けるのも、1つの生き方かもしれない。
君愛を先に見ていたら、その考えが強くなっていたかもしれません。
でもやはり、人と人との繋がりこそに意味がある。
君愛の暦だって独りよがりのようで、根底は栞という存在があったからこそ。
僕愛を先に見たことで、そちらの考え方に揺れ戻ることが出来たのかもしれません。
実際、君愛から観ていたらどう感じていたのかは想像、それこそ並行世界の話です。
でも和音が書き綴ったように言えるように、もう少し可能性を信じて頑張ってみよう。
